映画『ピノキオ』が思ったより怖かった話
怖い遊園地について調べていたら、なぜかヒットしたピノキオ。
作中に「プレジャーランド」という遊園地(というよりは人身売買の孤島)が登場するそうで、興味が湧いたので観てみました。
そういえばディズニーランドのアトラクションのピノキオも結構ダークな世界観ですね。期待値が高まります。
世界観がブラックすぎる。。。
これ、大人になってから見るとめちゃ怖いですね。
子どもの頃に観てたとしても多分恐怖はあったろうけど、細かいギミックとかには気づいていない可能性が。
まず思うんですが、この映画、まともな人間が1人も登場しませんね。
ブルーフェアリーやジミニー・クリケットは?と思うかもしれませんが、彼らも中々に食えないキャラかと。
1−1.ぺゼットおじさん
おじさんのお仕事は人形師?発明家?芸術家なんですかね。
それはともかく、おじさんは中々にぶっ飛んでるキャラクターだと思いますよ。映画観るまでは、「美女と野獣」のベルのお父さんくらいのハートフルなイメージを抱いていましたが、そんなこと無かった。
まず、おじさんの仕事部屋。
ピノキオに魔法がかかった後のダンスシーン。
部屋の仕掛け時計が順々に映し出されますが、どれもモチーフがえぐい。
・フラミンゴの首を延々と切ろうとする木こり
・泥酔?する紳士(目が×印になっている。アレ、もしかしてヤバいもの摂取しちゃっている……?)
・子どものお尻を叩いて折檻する母親
・木の上の鳥を無限に撃ち殺す男
・ビールで乾杯する2人の男(※これはおじさんの持っている懐中時計のモチーフ)
ちょっと抜き出しただけでもこんな感じです。
作品はその人を写し出す鏡でもあると思いますが、おじさん……あなた……結構な闇を抱えていそうですね。
1−2.ブルーフェアリー
フェアリーはゼペットおじさんの願いを叶えてくれますが、特にその理由は明かされません。理由の分からない善意って結構怖いです。さらに、ピノキオがサーカスの檻に捕まって、フェアリーに嘘をつく場面。
フェアリーは、「それでそれで?」とピノキオの話を(まるっきり嘘だと分かっているのに)優しく聞いて、ニコニコしながら鼻を伸ばしていきます。ストレートに怒られるよりも怖すぎる。
ブルーフェアリーの行動って、理由があるようで無いと思うんですよね。つまり全部気まぐれです。
おじさんの願いを叶えにやってきたのも、ピノキオを人間にしてあげるという約束も、ジミニーに金の勲章をあげるかも、というのも、全部特に理由はないのです。
フェアリーがなんとなく、そうしてあげようかな、と言っているだけ。
暇を持て余した妖精?女神?の気まぐれなお遊び、という感じなのでしょうね。
1−3.ジミー・クリケット
ジミーはブルーフェアリーにピノキオを導く「良心」に任命されただけあって、基本的には善良なキャラクターです。しかし、ピノキオがストロンボリのサーカスでスターを目指すのだ、と勘違いしたときには、「もう僕は必要ない」と言い放ちます。「だってスターに良心なんて必要ないから」と。
とてつもない皮肉をかましてくるのです。こういうドライな感じは個人的には嫌いじゃありませんが、ディズニー映画だと考えるとかなり辛辣なのでは。
こういうところで、ピノキオは単なる道徳教育的な題材を扱っているんじゃないだぞ!という主張が聞こえてくる気がしますね。だってこれ、もし、「スターになりたい!」と思っている子どもが観たら、「そいうか、スターになるには良心なんて持ってちゃいけないのだな」と、早々に世の真理を体得してしまいます。と同時に、「良心」というものを必ずしも持っていなくてもいい、というメッセージでもあるのかと。実際、悪徳オーナーのストロンボリや人攫いの正直ジョンたちなんかも、良心なんか全くありませんが、彼らの(非道な)やり方でしっかり世の中を生き抜いているのですからね。彼らはお金を得ることが幸せなので、良心なんてむしろ邪魔なのです。何で幸福を得るのかは人それぞれです。
そして、正直に生きようと、人を騙して生きようと、現実では必ずしも「フェアリー」が現れてご褒美をくれたり、裁いてくれるわけではありません。
だからこそ自分の納得する生き方を、ということなのでしょうね。
「ピノキオ」の作中では、善への肯定も、悪への否定も、強くは示されません。
それこそが、自分の行く道は自分で決めろ、というメッセージなのかもしれませんね。
ジミーの言うように、「良心とは小さな声で聞こえにくい」ものですから、それに耳を貸すかどうかはあなた次第、ということなのでしょう。